更年期障害の話
無意識のうちにも彼はそこに「第三の場」を見いだしたのであろう。東点での ストレスから解放され、そのときだけはED が治癒したのだから、あまりにも劇的な効果では ないか。しかしお相手が「第二の次」であったことが火種となり、結局は「第三の場」も修羅 場と化した
だから、またそれで持続す れば・・・・・・」 「そ、つですね、ぇ」 「ずっと勃起してるんですよ 「そうですね 、え 」 「体力戦、肉州戦ですよ、もう、すごいですよ。 「普段の何倍くらい?」 「三倍、五倍くらい。もっとかもしれない だから休h があるかぎりできちゃう」 いき続けているの、彼が萎えないかぎりは」 いや、もっともっと」 「へ、ぇ、ぇ」 「でね、今日は取材を受けるから、昨日実はフフフフ」 「な、なんですか?」 「ホテル。ホテル行って、肉弾戦してきたんです
場所は徽浜にある円然食レストラン内昼下がり の務ちおいたムlドの中で、お酒落で上品な女性たちがハlブティーやオl ガニツクコーヒー 85 を飲みながら、談笑したり説占に耽っている。この静かな店内で私たちの話は迷惑がられてい るに違いないと思ったものの、取材芥として「貴重な証言」を制することは、できっこない。 私がμ惑っている間にも忠利さんはますます快調に飛ばした 「ホテルじゃないと、叫べないでしょ。すごい雄叫びをあげてしまいます、フフフフ。
(氷じゃ できないですよf 似が隣に技ているから気になっちゃってやっぱ、ホテルじゃないとね」 「はあ」 「ほんと、腰が抜けちゃって立てなくなるんですよ、あたしも彼も。 雄叫びあげてたんですもの」 「はい、はい」 「終った後は、百メートル全刈疾ヒ比したり、プールで JJ 何メートルだか五百メートルだか泳い だ後の疲労感というか、けだるい感じですね」 「あっ、そう」 「なんかね、そのけだるさに反っていると、体中がね、ふわっとしているんですよ。頭の小が からっぽになって、すごく心地いいんです」 「なんか麻薬みたい:::」 「あたしは麻薬は経験ないけど、でも、たぶんそれくらいすごいですよ。あれはねえ、ほんと、 なんか幸せな感じをもたらすというか」 ハハハハ。だってずっと 人それぞれのED 事的司1 ・ 1 百日 なんだか私は、体が火照ってきた。中年夫婦でこれほどのセックスを体験している万々はそ うそういないだろう。私もまずない。うらやましい反田、円分がこういうパートナーをもった ら大変だろうな、怖いだろうなという気持ちもよぎった。 しかし冷静に彼女の話を受け止めてみれば、たしかに過剰なほど「パイアグラ・セックス」 の快楽を語っているが、その興奮の事には何か心理的反動があるのかなと思わないではいられ なかった。日常的には悩みを抱えて欝状態に陥っていると、非円九日山の場では異常に盛り上がっ て繰状態になる。もしかしたら彼次にそういう傾向があるのかもしれない、もしそうなら、そ こまで踏み込んだ「裏話」を聞いてみたいと思った。 「最近特に集中的なの。いままでしなかったぶん、なんかね」と船本さんは笑った 「それはまた、どうしてですか?」 「やっぱり彼が変わったからでしょう。ここ一年くらい」 「どんなふうに?」 「優しくなった。一一言でいえばそれですね」 「以前は?」 「優しいなんでぜんぜん。彼のセックス、苦痛でしかなかったから・::」 ふと、彼女の表情に陰がきした。ここからが本番だと私は思った。
セックスなんて苦痛なだけ! 忠利さんはあるれ度品し終えると、決ち着きを取り戻した。そして過去についての私の質問 にじ系山に答えてくれた u 私 は 「汗術」の立味を突き付けられた 福祉関係の仕悦a をしていた彼交は、 た門トぷは卜八下企業のエリート会れ此だった 二十七歳のとき結婚し、山産退職して、専業、EM になっ 中 l 初は去を陰で文えることに生き甲斐を見いだし ていたurd 山1b叫品川打H a ,』 、zbL 引了tfu 「交のしネせ」を全うするのが本望だった。
しかし何叫d にも完崎主義を民くヒ人には「怠けている」としか思えないらしく、 忠利さんを叱りつけた。「気に入らない」とか「川い」という開山で長がよそった御飯を炊飯 器に戻して自分でよそい位したり、ド支が洗った食器を自分で洗い直したりといった嫌がらせは 幾度もあった。 「ん泳のことでもすべて’日分の竹川ドにあって、すべて支配していないと討が済まない人なの L 制かいことを例にあげると、爪切りの置き場所まで思い通りにしたくて、もしそこになかった ら『なんで置いてないんだ1』とあたしを占めるのよ。もういらいらしているのがビンビン伝 わってくるわけ。Jい返すと倍になって返ってくるから、怖くて黙っているしかなかったの。 彼の前ではいつも緊脹してビクピクしていたわ」 そして夫とのセックスも、恵利さんにとっては大きな失望だった 性欲旺盛な夫は毎晩のように求めてきた n しかしその行為には優しさのかけらもなかった。
「彼のセックスはひとりよがり。やりたいときにやって、嫌がっているのに勝手なことばかり して。それで相子しないと怒って、いらいらして、ぶつぶつ言って:・」 もともと恵利さんは、セックスが好きではなかった。セックスでのいい思い出がなかったからだし 特に辛かったのは、大学生のとき、信頼していた先準からレイプされたことだった。誰もい ない部宅に呼び山され、クラブ活動について話し合っているとき、突然襲われた。何の抵抗も できず、ただ人形のようになっていた− −卜年以上経ったいまでも、その記憶が蘇ると皆しく なった 恋人から突然「おまえは淫乱だ」と −一 円われたこともあった。恵利さんのほうから求めただけ で、そう似つけられ、しばらく不感症になった。セックスの最小に「淫乱」という言葉が脳裏 によぎると、一瞬にして冷めてしまった。 「こんなことしちゃいけないのかなとか、喜んじゃいけないのかなとかね、そう思ってしまう の。だから、すごく悲しいことだったの、セックスって::;」 去とのセックスは、それらの苦しみの延長線上にあるようなものだった。
しかし背しみにつ いては決して夫に打ち明けなかった。記憶を封印することに必死だったし、夫から過去の性体 験についてねちねちと聞い賀されて傷を涼くするのが怖かった 長男が哨息を患い、その看病の疲れや心配のあまり、性欲がぜんぜん湧かない時期があった。 しかし夫に自制心を期待するのは無駄だった。「嫌だ1」と断われば怒られるのでおとなしく 従っていた。夫の持続時聞が長いときは、「もう、H 十くいってよ1」と心の中で叫んだ。なる べく速めに射精させるために、彼女のほうから体を激しく動かしたり腿を強く閉めたりした。
「あの頃は、彼のオチンチンなんて見たくもないっていう感じ。『そんなの見せないで1 』 ていう嫌悪感が先走っていたわ」 つ ついに離婚を切り出す 恵利さんはしだいに夫婦性的に限界を感じるようになった。 夫が帰宅してドアを聞ける背が聞こえるとピクッとした。「今晩はどんなことで怒られるん だろう」と不安に駆られた。それまでふたりの子供と楽しく過ごしていたのに、夫が帰ってく るなり、雰囲気がみるみる暗くなった。子どもたちは父親を避けて自室に引きこもった。 恵利さんもろくに口をきかなかった。すると去はますます不機嫌になり、重箱の隅をつつく ように叱責した。嵐がおさまると、夫は食卓に仕事の書類を広げ、いかつい表情で目を通して いた。そして深夜になると寝室に来て、うとうとしている忠利さんを叩き起こし、強引なセツ クスに及ぶのだった。
そんな日々の中で少しでも気晴らしをしようと恵利さんは、市民講座を受講するようになっ た。週木が多かったので、案の定、夫から「子どもはどうするんだ!俺はどうなるんだ!」 「講座の金は誰が稼いだんだ!」と占め立てられた。しかし夫に隠しながら平日昼間の講座だ けでも続けたそしてそこで初めて「ドメスティック・バイオレンス(DV )」 について学んだ。 夫から妻への暴刈というのは、殴る蹴るの身体的暴力だけではなく、一言葉による精神的暴力も 含まれると知った。夫射の間でも強引なセックスはレイプであると認識したのも初めてだった。 「あたし、H からうろこが落ちたわ。それまで自分がされてきたことがDV やレイプだとは自 覚していなかったの。それで「そうか、そういう問題だったんなら、絶対に許せない!」って いう感怖がどんどん湧いてきたの」 離航という選択肢が現実味を帯びてきたのはその頃からだった。
もちろん結婚当初からそれ は意識していたが、離婚について考えるのは一カ月に一回くらいだった。それが半月に一回、 ‘週間に.回、三日に一回、一日に回と頻繁になっていき、ついには一日中考えるまでにな った。女性センター主催の離婚に関する法律相談会に出席して、慰謝料や養育費の請求額を見 積もることもあった。 しかし離婚に踏み切る前に、市中利さんの精神状態に異変が起こった。ずっと楽しみにしてい た市民講座の参加申込みを夫に強引に取り消され、物凄い剣幕で怒られたとき、急に息ができ なくなって意識を失って卒倒した。救急車で病院に運ばれた。神経症の不安発作による過呼吸 と診断された。 これ以来、動停、H まい、吐き気、下痢などの発作にたびたび見舞われた。不安神経症が発 92 病し、持病になってしまったのだ。 「あの男のせいで」と心の底から夫を憎んだ。「情けない」と自分自身も責めた。「なんとか離 婚しなくちゃ」と焦りがつのった。 ある晩、ひどい不安発作が起こった。離婚の話を切り出そうとした矢先の出来事だった。翌 朝、夫に連れられて通院し、発作止めの薬を飲むと、いくらか気分が回復してきた。ふたたび 離婚の話を切り出す気力が湧いてきた。もはやタイミングなど待っていられなかった。病院の 帰りに車の中で、「離婚してほしい」とはっきり告げた。ιH 分自身でも驚くほど冷静に言えた 夫は運転を続けながら黙っていた。そしてしばらくして、「A がそう思っているんだったら、 そうしてもいいよ」と小声で答えた。
口調は淡々としていたが、顔面は蒼白だった。 を握っている手がぶるぶる震えていた。
「僕は彼女にずいぶん酷いことをしてきた。それは 動かしがたい事実ですから:::」 。私の目をまっすぐ見て、口を真一文字に結んだ。「DV です ね、僕がやったことは。それは女房に指摘されました。もちろん殴る蹴るという暴力はしてい ませんけども、精神的な暴力で彼女を追い詰めたのは事実です。それから:・、性的な暴力も ね::;。こういう自覚は、以前の僕にはぜんぜんなかったんです」 いささか出来すぎという印象は拭えなかったが、この言葉が嘘とは思えなかった。 俊次さんは同則の中では常にトップを走っていた。毎月発表される営業成績のランキングが 生き巾斐といっても過言ではなかった。そこでベストテンに入るのに必死だったので、妻との 関係など顧みる余裕などなかった。会社では好感度抜群の男を演じ、その反面、家庭では暴君 だったが、そういうこ面性が当り前だと思っていた。妻にとってどれほど酷い仕打ちであって も、彼なりに言い分があった
。些細なことも彼の中ではすべて筋が通っていた。したがって自 分が悪いとか妻に中しわけないと思ったことは一度もなかった。 「僕にはがんばっているというプライドがあったんです、家族のためにね。自分の中では一所 懸命に仕事をして、稼いで、家を買って、子どもをいい学校へ通わせて||家族のためにこれ だけのことをやっているという男としての自信があったんです。それなのに、夜遅くに帰って きても、女房は冷たい。ついついカツとなってしまうんです。僕のほうこそ被害者だと思って いました」 94 人それぞれのED'M1'i 第日 I> 生まれ育った家庭環境の影響もあるようだ。
俊次さんは勉強もさることながら、生活習慣に ついても厳しく挟けられたそれこそ爪切りの置き場所からきちんと決めて、使ったらかなら ず元の場所に返さないと叱られた。 他人に対する礼儀は最大限に気づかうことを教え込まれた。 約束時間の厳守は当然だが、たとえばET 川の品物をもらったら一万円の品物をお返しするこ とまで徹底していた。 「女房にも続けてやろうという気持ちがあったんですね。そのほうが彼交のためになると思っ て。彼女にしてみれば『出癖性』と思えたのでしょうけど、自分が正しいと思っていましたか ら多少は強引でもいいと:;:。正しいことが相手の抑正になったり、傷つけることもあり得る という想像力が当時の僕には欠けていたんです」 性の場何においては特に自己中心的だった。自分が一家の大mk …杭であるというプライドが、 養っている妻を強引に求めてもいいという意識につながった。 「働いて稼いできているんだから、やりたいときにやらせろよという感じでした。相手の気持 ちはまったく考えていなかったですね」 俊次さんはセックスにおいても自信家であった。強いことがいいと信じて疑わなかった。過 去の恋人たちからソl プ娘たちまで、性交渉をもった女性全員を内分のパワ!とテクニックで 満足させてきたという臼負があった。欲望のままに攻めて攻めて交性を征服するのが彼にとっ ての快楽であり、それによって女性も快楽を覚えると妄信していた。
「自分の小に「感じさせてやろう』というメラメラした欲望があったんですねO K 一民が感じて いる安を凡ながら、「どうだ、凄いだろ」なんて思っていたわけです。逆に感じ方が鈍いと許 96 せなくなってしまったんですよ」 長の心が縦れていくことには無航おだった。児として完壁である自分にいつまでも長が惚れ ているのが当り前だと思い込んでいた。 しかし必がH の前で倒れたときは、さすがに猛省した。そのとき彼は昇進に関係する社内試 験の準備に追われていた。
しかしやはり、実際に作げられると、動揺は激しかった P かろ うじて平静を装って、「君がそう思っているんだったら、そうしてもいいよ」と声を絞り出し た。男のプライドからなる日一杯の虚勢だった。 「恥ずかしい話なんですけど、まず最初に考えたのは体裁のことでした離婚をしたら、親や 親戚や上司にどう説明すればいいんだ、みっともないとか:・:。あと、子どものことが心配で した。離婚したら可哀想だなと。まあ、いろいろと細かいことまで頭の中をぐるぐる回ってい ましたね」 離婚宣言がボディーブローのように徐々に効いてきて、俊次さんは日に日に落ち込みが激し くなってきた。会社の人たちが心配するほど、中気がなくなってしまった。彼にとっては初め て味わう挫折だった。
不倫で芽生えた性への意欲 恵利さんは離鮒の話の後、まったく共体的行動を起こせなかった。体調が忠くて雌舶の千杭 97 きをこなしていくエネルギーが湧かなかった。さらには、子供の気持ちゃ世間体、経済的自立 の困難などを考えると、やはりどうしても怯んでしまうのだった。
心の空洞を抱えながら途方に暮れているとき、ある男性に出会った。同じ精神科のグループ カウンセリングに参加していた独身の大学講師だった。 「彼、『僕も不安神経旋だ』って言ったのね。それが最初のきっかけだったの。あたしも不安 神経症だったから、『あっ、仲間がいた1』ってうれしくて」 カウンセリングの後に彼と喫茶店で話し込むのが、恵利さんの唯一の楽しみになった。
彼女 は不安神経症になった瑚山として夫の問題をすべて打ち明けた。彼はひどく繊細で弱々しいタ イプだったが、ぎこちなくても必死に恵利さんを慰め励まそうとしていた。それは彼女にとっ て新鮮な感動だった。「母性がくすぐられる思い」を抱いて、彼のためにできるかぎりのこと をしたいと思った。 彼は奥手だったので、恵利さんのほうから食事や映画に誘った。何度目かのデ1 トの後、彼 のアパートに赴いた。 「当時は本気で好きだと思ってたの。夫に対しては離婚したいっていう気持ちが強くて、ぜん ぜん好きじゃなかったから、罪悪感なんてなかったです。『そういう気持ちがあったうえでの セックスだったら、いいかなあ』と思ったの」 朝、子どもを学校に送り出すと、彼にモーニングコ1ルをするのが習慣になった。
妻の日記帳 離婚宣言以来、妻は円もきいてくれなかったが、ある日突然、一冊の本を無一言で俊次さんに 9 手渡した。それはドメスティック・バイオレンスについての専門主目だった。 彼はそれを合るように読んだ。その中で解説されている暴刈の数々は、殴る蹴るなどの身体 的暴力以外は、すべて心当たりがあった。特に精神的暴力と性的暴んの部分は、向分のことを 書かれているようだつた。被害者の心理も詳しく書かれていたので、針のむしろに座らされて いる気分になった。 「いやl 、ガツンと打ちのめされました。自分のしたことが何なのか、女房の気持ちはどうだ つたのか、少しは理解できるようになりました。でも、それは頭の中だけのことです。行動で どう示せるかというのは別問題でしょ。そこからがまた難しかったんです。どうもマッチョな 体質がしみ込んでしまっているものですから:::」 できるかぎり優しく振る舞ってみても、去の反応は冷淡だった。
話しかけても返事さえして くれない。もちろん、セックスは拒否され続けた。以前の俊次さんだったら強引に求めるのが 常だったが、「嫌だ」と言われるとおとなしく引き下がり、妻の蹴ったあとで自慰行為をした。 そのうちに寝床も別の部屋に移された。さらに、絶倫だった性的干不ルギ1 が激減した。かろ うじて勃起はするものの、途中で萎えてしまうのである。妻には相手をしてもらえなかったの で、風俗般を相下に失敗の連続であった。 離婚穴言による心理的ダメージは、仕事にまで影響を及ぼした。失敗続きで上司に叱責され、 山世コl スに黄信号が点滅し始めた。 10 人それぞれのED 事情第一部 「何もかも自信を失いました。自分はこんなにも情けない男なのかと死にたくなりましたよ」 そんなとき、とどめを刺されるかのように、俊次さんは妻の不倫を知ってしまった。夜中に 目を覚ましてキッチンで水を飲んでいたとき、たまたまテーブルに置いであった妻の日記帳を 読んだのである。何気なくバラバラとめくっていると、気になる言葉が目に飛び込んだ。「あ なたの苦しみを私が癒してあげる」。
三ページにわたって走り書きしであった。 俊次さんは目を血のようにして細い文字をたどった。「まさか、そんなことが:::」 。何度も 読み直してみたが、現実は現実だった。恋人への熱い思いがどのペl ジからも溢れていた。 「あのときは、頭が真っ白になって、何も考えられなかったですねえ」 俊次さんは、気づいたら頭の中をぐるぐる回っているその文章をワープロ打ちしていた。な んの意図もなく無意識に。 あなたの苦しみを私が癒してあげる。あなたの苦しみを私が癒してあげる。あなたの苦しみ を私が癒してあげる 早朝に妻が起きてくると、俊次さんは顔を引きつらせて、「日記がテーブルに置いであった から、同んちゃった」と告げた。妻は青ざめて黙り込んだ。俊次さんはワープロ打ちをした文章 を覚えていたので、それらを空で暗唱し、 「『 あなたの苦しみを私が癒してあげる」って書いて 101 あった。どういう意味?」と問い詰めた。男の実名も出した。妻は「ごめんなさい」と泣き崩 れ、俊次さんの前で土下座をした。 このときの気持ちを妻の恵利さんはこう語った。
「土下康をして謝罪したのは、彼が怖かったからなの。何をされるかビクピクしていたから、 『先に謝っちゃえ』って思ったのね。本心では、寄りを戻そうという気はなかったです。どち らかというと恋人のほうを選びたいという気持ちのほうがその後も強かったくらいだから」 したがって恵利さんは不倫を続行した。俊次さんは、恵利さんいわく「虎が猫になった」ほ ど意気消沈して、家の中ではしょんぼりしていた。 彼はその心境をこう語る。 「妻を恨むとか責めるとかより、自分が鵬甲斐なかったんですよ。離婚を突き付けられて、自 分が変わらなきゃと思ってがんばってきたけど、それが実らなかったという落胆のほうが大き かったんです。最初は「こんなにがんばっているのに、何でなんだ!」と怒りましたけど、 「まだ俺のがんばりが足りないんだ』と自分自身を反省するようになりました」 恵利さんが恋人に会っているのを知りつつ、我慢して見過ごしていた。やめていた喫煙を再 開し、いらいらして煙草を手放せず、いつでも吸殻が山盛りになった。
「自分がいままでやってきたことで傷ついたから、女房は若い男に癒しを求めているんだなと 思ったんです。知らないところで会われているのは嫌だったんで、『会いに行くなら、会いに 102 人それぞれのE D 事情第剖i 行くと言ってくれ』と言ったんですよ。そしたら女房は『じゃあ、会いに行く」と言いました。 辛かったですねえ」 不倫の果てに ところが俊次さんが我慢に我慢を重ねていると、急速に風向きが変わってきた。 恵利さんは恋人のインテリジェンスにも惚れ込んでいた。彼から借りたぼろぼろの書籍を丹 念に読み、彼がぺらぺらと話す難しい理論を埋解するのに悦びを感じていた。将来、大学教授 のパートナーになるためには、自分自身の知性も磨かなければと本気で思っていた。彼の協力 で論文を書くことにした。できれば大学院に行きたかった。 しかし論文の準備のために彼と過ごしていると、 なってきた。恵利さんが質問を繰り返すと、 れることもあった。 露骨に不機嫌な態度を取られることが多く 不真面目にはぐらかされたり、いらいらして悠ら 「結局、うっとうしくなったみたい。それにあたしを見下していたわけよね。思想的なことに おいても性的なことにおいても、見下していたわけ、そうよ」 セックスも明らかに倣慢になってきた。忠利さんは次第に、かつてと同じように男の性欲処 理の道具にされている惨めさを感じるようになった。 ある日、恵利さんのほうから求めていくと、彼は彼女を冷たく突き放し、「君は僕の休に泌 103 れているんだね」とにやにや笑ったその瞬間、忠利さんの恋は終った。ずっと心を傷つけて きた「淫乱」という 」一 川東が脳裏に浮かんだ。「この人も、あたしをそう思っていたの・:・」。
恵利さんは泣きじゃくったまま急いでベッドから起き上がり、服を着て外に飛び出した。帰 宅途中に不安発作の目まいと動俸が起きて歩けなくなり、タクシーで家に着くと、順吐して寝 込んだ。 104 俊次さんが徹夜で看病した翌日は会社を休んだ。際臨としてうなされている忠利さんに 「大丈夫だよ。僕がここにいるよ」と何度も優しく戸をかけた。忠利さんは夫の日を見詰めて、 「ごめんなさい」と手を保ったもう偽りはなかった。 「体に溺れている」という小傷をい安から聞くと、俊次さんは怒りで身を震わせ、男に電話をか けて「おまえが一戸ったことは、言葉の暴力だ1DV だ1 」と怒鳴りつけた。男はかほそい声 で「すみません、すみません」と繰り返すばかりだった。
それでも俊次さんの怒りはおさまら ず、「荷造」を喫茶店に呼び出してこってりと油をしぼり、二度と妻に近づかないという誓約 書まで書かせた。 不倫劇は幕を閉じた。最後は俊次さんに勝利の女神が微笑んだ。 「私は惨めになることはないのだ」 その後、夫婦のコミュニケーションは順調にM 復した。会話は弾み、食事や買い物やカラオ 昨日 人それぞれのED
「まったく後悔していないというと嘘になりますが、これしか選択肢はなかったんです山川 のために、ふたたび火房や子供を犠牲にすることは絶対にできない僕は変わったんです。も う仕事がすべてじゃない。出世を諦めたけど、そのぶん家族といっしょにいられる時間が明え ると思えば、ずっと幸せですよ」 そしてもうひとつ伐った似は、俊次さんのED であった。離婚宣言の後に勃起h や持続h が 急激に落ちたのだが、それは£との関係が修復してからも阿復しなかった。
ようやく長とのセ ックスが解禁になったのに、俊次さんのペニスはいつでも途中で萎えてしまった。 「DV はなくなって、彼女は心を聞いて体も聞いてくれたんですけどねえ。あいにく僕のほう が弱くなっちゃったんですよ。まあ、もう歳だということもあるし、攻撃的なセックスばかり してきたから、それが心理的にできなくなると、反動が米てしまうんでしょうかねえ」 しかし救いだったのは、恵利さんのほうがセックスに積極的になったことである。
以前とは 打って変わって、自ら犬に求めていくことが多くなった。しかも驚いたことに役割が逆転した c 105 恵利さんが攻めにまわり、俊次さんが受け手になったのだ。 「攻めるほうがなんかすごく感じるようになったの。ハハハ。祇めたりとかいじくったりとか、 あたし大好き。彼の体を祇めてあげて『あlん」なんて感じてくれると、自分も感じることを 発見したのね。受け身じゃあんまり感じなかったけど」(恵利さん) 「新鮮な悦びでした。あれほどセックス嫌いだった女房ががんばってくれているなと思うと、 感動して涙ぐんだときもありますよ。以前は自分が受け身なんて絶対に許せなかったんですけ ど、不思議ですねえ」(俊次さん) どんな体位であろうと、お互いが納得していればいいのだ。男らしさ・女らしさの固定観念 を打ち破ったところにセックスの新境地を見いだした。 残された課題は、俊次さんのペニスの勃起力と持続力の回復だった。そこで彼はED の専門 医に相談して、バイアグラを処方してもらった。 初めて服用したときの印象をふたりはこう語る。 「飲んでから二十分くらいすると、頭から血がスly と引いてくる感じがして、体がふわふわ してきで、意識はボlッとしてくるんです。さらに五分くらいすると、霧が晴れるように意識 がはっきりしてきました。それからはもう驚きの連続ですよ。ピンピンして時間は長くなるし、 射精しても萎えないんですから。要するに、ちょっと刺激をすればグンッと立つんですよ。十 代に戻ったみたいでしたねえ。翌H はだるくてだるくて」(俊次さん) 106 人それぞれのED 事情第部 「彼、最初はあたしに隠して使ったのね。あんまり凄いからびっくりして、『どうしたんだろ う、今日は。どうも変だな」と思っていたら、終った後に『ゃあ、実はね』なんて教えてくれ たの。あたし、そのときは怒ったわ
。やっぱりきちんと同意を得てから使うべきょ。女に黙っ て、男が使うの守二方的に決めるのは、男根主義でしょ!」(恵利さん) こういうすれ違いをすぐに修正できるようになったことこそ、この夫婦の成長の証である。 俊次さんはパイアグラを使う前にかならず承諾を得ることにした。恵利さんにとっては、それ さえ守ってくれれば、あとは文句などあるはずがない。日目頭で語ってくれたように、セックス そのものは「病みつきになっちゃう」のだから。 そしてふたりは、ますます性の快楽に食欲になっていった。パイアグラを使ったときは、な るべくラブホテルに行き、思う存分セックスを満喫することにしたの
「お互いに同意を得て飲みますから、『さあ、今日はがんばろう、楽しもう』っていう心構え で盛り上がるじゃないですか。そうするとやっぱり、ホテルに行くくらいのイベントが欲しく なっちゃうんですよ。ささやかなイベントですけどね、 それでもなくてはならない貴重な時間 ですねえ」(俊次さん) 「いくらパイアグラを使っていても、ホテルに行っても、お互いに信頼関係がなければ、そう いうふうに楽しめないと思うの。だから普段の夫婦の関係がね、いちばん大事よ。お互いに尊 重し合えて認め合える関係であれば、欲張って刺激的なものを取り入れていけばいいのよ。私 107 にとってパイアグラはそのひとつね。フフフフ」(恵利さん) 人間は変わる。夫婦も変わる。セックスも変わる。希望を捨ててはいけない。 恵利さんはそれでもまだ同復の途上にある。ときどきホテルでのその最中にもレイプの記憶 が襲ってきて、いっきに冷めてしまう。俊次さんも回復の途上にある。ときどき弱い自分が受 け入れられなくなり、パイアグラの効果も無駄になってしまう。しかし、いまは昔のように互 いに孤立してはいない。ふたりで支え令って励まし合って乗り越えていける。 「ふたりとも果てしがなかった。スキンを付けて彼は私の中で果てた。久しぶりだった。
私も 満足感があった。初めてセックスがこんなにも素晴らしいのかと思った。そして思った。私は 惨めになることはないのだ」 忠利さんは日記にこう書いて、 解説3 0キーワード[男根主義] いまの幸せを噛みしめた。 妻からの相談が圧倒的に多い 船本夫妻の話を聞いていると、夫婦という関係における性の重要さを改めて痛感する。ここ 108 人それぞれのED
男性パートナーがED である場介、もちろん大多数の女性は不満を感じて回復を望む。病院 やカウンセリング機関を取材していてしばしば聞いたのは、妻からの問合せのほうが圧倒的に 多いという話であった。
『私に魅力がないか ら、巨人は立たないんじゃないかしら』と自分を責める人もかなりいます。とにかく女性のほ うが思い詰めていて、『このままじゃ夫婦でいられない』と離婚を立識していますね」 翻って、夫のほうは治療に消極的である。仕事で疲れて性欲もなく、ましてや治療する気刈 まで湧かない。しかし妻から離舶をほのめかされて、しぶしぶ治療を受けようとする。 「奥さんといっしょだと話しにくいでしょうから、まずはひとりで来てもらって話を聞くんで すけど
、『途中でしぼんじゃうのが恥ずかしいからセックスしたくない』という話をよく聞き ます。そういう性の悩みを奥さんに打ち明けられない、必のほうも聞くに聞けなくて悶々と悩 んでいるつまり夫婦でセックスについて話し合う成熟した関係が築けていないんです」 また、京早稲田クリニックのセックス・セラピストの南城慶子氏はこう 一一 JH う。 109 「奥さんのほうから電話があって、日一那さんの状態を相談して、『じゃあ、いっしょに来てく ださい』という場合が多いですね。
往々にして奥さんのほうは且那さんを非難しがちです。で も、相手のことを非難だけして、協力して治そうという姿勢がないなら、悪いほうにばかりい っちゃいます。逆に奥さんに理解があると、日一那さんの回復は早いですよ」 総体的に妻のほうが豊富な性経験を持っている。委が処女の場合は珍しいが、夫が童貞の場 合は多い。童貞で見合い結婚して、結婚後三年くらい経ってもセックスができないので、妻が 心配して相談してくるのだ 理想が吉岡い妻はED に厳しい しかし夫のED に理解を示す妻は現実には少ない。特に夫に対する理想が高い妻は、ED の 夫を見限るのも早い。たとえば、三高(高学歴・高収入・高身長)を条件に結婚相手を選んだ 女性は、「こんなはずじゃなかった!だまされた!」と恨みつらみで凝り固まっている。も ともと勃起不全がばれるのが怖くて結婚を避けていた夫が多く、それを隠されていたのを知っ たときの安の失望はことのほか大きい。
「ある奥さんは、日一那さんがセックスできなくて落ち込んで、日に日に表情が暗くなっていく と、『カツコいい容姿が変わっちゃう、変わっちゃう」と心配していたんです。そうこうする うちに、ぜんぜん魅力がなくなってきたみたいで、「治るだけ治っても、わたしはもう、いつ 11 0 人それぞれのE D
ED を患った三十四 歳の男性と結婚して約十カ月同居をし、精神的苦痛を受けたとして、二十九歳の女性が慰謝料 約九百万円の支払いを求めたのだ。裁判官は、「性交渉を持つのが困難であることを隠したと は言えないが、自分で気づいた後も、適切な対応を取らなかった」として、男性に五百万円の 賠償を命じた(大阪地裁・二OO 一年六月一日付の判決 )。 男性側は「女性が性交渉を拒絶し た」と主張していたが、裁判官は男性の診断結果などから「信用できない」と退けたのである。
なんとまあ、ますますED 男性受難の時代になってきた。はっきり中しあげて、妻に心配さ れているうちが華である。突然の離婚宣言や慰謝料請求に見舞われたくなければ、早急に治療 するに越したことはない。 って離婚しちゃいましたよ」 バイアグラに対する女性の賛否両論 実際、パイアグラによって夫のED が治った場合、妻のほうの満足度は極めて高いというデ ータがある。東邦大学大森病院リプロダクションセンターが、パイアグラ治療を行い有効性が Ill 確認された忠者のパートナー三卜人を対象としたアンケート調企だ。パイアグラ治療に対する 渦起度は、非常に満日比、やや満起(五十一・二パーセント)、どちら でもない(八・三一パーセント)、やや不満(八・三パーセント)で、次性の「満足」は八割を 越えた。
また、ED が治ったことによる性生活自体の満足度は、非常に満足(卜六・じパーセ ント)、やや満足(五卜八・二.パーセント)、どちらでもない(十六・七パーセント)、やや不 満(八・一二パーセント)、非常に不満(O パーセント)で、こちらのほうも「満足」が八割近 くに昇ったこのデlタを以付けるのが、船本忠利さんのインタビュー口駅の司一円である。彼 交がパイアグラの思忠を訪っていたのは紛れもない本音であり、少なからぬ女性たちの代弁者 といっても過言ではない c しかしここで懸念するのは、山性のほうに「じゃあ、パイアグラで立せるだけでK の不満は 解消されるんだ」というufA H ぷが生じることである。このへんはもっと女性の気持ちに繊細に なるべきではないだろうか。 たとえば、フェミニストの論符として知られる法政大学教綬で参議院議員の凹嶋陽子氏は、 パイアグラへの関心が高まり始めた−九九八年六月に、世の男性に対して新聞紙上で警鐘を鳴 らしている。そのインタビュー記事の川嶋氏の発J 一円を引川しよう 「インポテンスは男の終わりという刷り込みがある。
いつまでも兵士として前線にいたいとい う、男根主義に縛られた『川との断末魔の叫び。おばあさんがつえをついてハイヒールを履い 12 第一部人それぞれのE D 事情 ているのと同じ。いつまでも男の子でいたがっている。 てご立派」というのでは、女と成熟した関係など結べません」 「女の立場からいうと無理に挿入しなくたっていい。 直接性器に結びつかない関係だつである。 指が触れるか触れないかの位置にあるミケランジェロの絵画『アダムの創造」は、最高のエロ スです。心が触れあった人間同士は、少し肌が触れただけでオl ガズムに達する。ペニスに依 存するゆえに、本来持っている豊かな感性を未開拓のまま放っているのではないか。そこを開 発すれば男はさらに優しく、深く、成熟するのに」(朝日新聞一九九八年六月二十五日付朝刊 学芸面) 田嶋氏ほど極論ではないにしろ、ただ立てばいい、入れればいい、強ければいいという男根 主義に僻易している女性は多い。 たとえば女性の許可を得ないでパイアグラを使用することは、 男根主義の象徴的な例であるが、専門医によると、この点に関する妻の不満は根強くある。夫 の内緒のパイアグラ使用が妻にばれたことで担当医が抗議を受けた、というエピソードが学会 で発表されたほどだ。 つまり成熟の拒否だ。「ペニスが立つ エロスの追求は対等に 男は男線主義から脱却して、女の欲求を敏感に察せられるようにならねばと思う。
もちろん ただ受け身で入れさせているだけの「冷凍マグロ」から女は脱却すべきだ、という男の声にも 13 一理ある。要するに男女双方が人間として成熟し、対等な関係を築き、濃厚なエロスを追求で きるようになることが理想だ。 I 14 ちなみに田嶋氏はパイアグラを全面否定しているわけではなく、「正しい使い方で男女の仲 をより良くするのなら話は別」と前置きしている。その点、船本夫妻は合格だろう。
双方の合 意のもとでパイアグラを使用し、気分を盛り上げ、「男は攻め、女は受け」という固定的な性 別役割にこだわることなくセックスを満喫しているのだから。しかし、船本夫妻が最初からこ うだつたわけではない。忘れてはいけないのは、恵利さんもかつては、夫の男根主義に痛めつ けられ、二度は離婚まで決断したことだ。そして夫が自らの罪に気づき、改心したからこそ、 いまの夫婦の境地がある。「このままじゃ夫婦でいられない」と悩んでいる女性たちも希望を 失わないでほしい。 人それぞれのE D 事情部第 ケース4 セックスは汚いっていうイメージがどこかにあって岡崎さんの場合 恋愛不全と恋愛依存の狭間で 岡崎久彦さん(仮名・四十三歳)の場合、EDの原因はかなり複雑である。本人の分析によ れば、恋愛不全が大きく影を落としているというが、その恋愛不全もまた、 a 筋純ではないの だ。 「わりと二重人絡的なところがあるんです。恋愛不全でありながら必愛依存的なところもある んです。誰かを好きにならなきゃいられないんだけども、片思いがベストなんですよ
火性と の関係が深まってくると、逃げちゃう。だから、誰かに心の中では頼っていたい、依存してい たいんだけども、依存されるのは怖い。依存されてくると、相手の欠点とかをわざと探して軽 蔑してみたり、あるいは無理やり冷たくあしらって縁を切ってしまったり、まあ、実際そうや ってきたんですよね」 父親が経営する会社の役員を務め、都内の一等地の屋敷に住み、男前で独身の岡崎さんは、 とにかくもてる。「玄人」でも「素人」でも言い寄ってくる次性は後を絶たない。ところが、 恋愛不全と恋愛依存の狭間をさまよっているという彼は、結果的に、極めて淡泊な(ある意味 で純情な)女性関係しか経てこなかった。これまでの最も長いつきあいは半年であるという。
「女性と恋愛関係という形で距離が近づいていくと、ともかく重たくなって耐えられなくなる んです。なんでいうかなあ、自分で向分にいろんなものを課してしまうんですね。その結びつ きが強くなってくると、相手とはこういう関係じゃなきゃいけないんじゃないかとか、いろい ろ想像が発展しちゃって。たとえば、デートする前から、いきなりいっきに結婚したときのこ とを想像したり・・・。ものすごく潔癖なんですよ。恋愛というと、完壁じゃなきゃと」 「それは確かに重いですね」と私は汚笑した。「相干の火性に言、つんですか?」 「 一一一 円わない、 一一 パわない。だから、自分でそこまで想像して勝手に重たくなって逃げてしまうと こがある」 「でも、恋愛なしでは生きていけないと?」 「そうそうそう。だから、極端なことを言うと、片思いがベストなんですよ」 「本当にそれで満足なんですか?」 「満足じゃないけど、どっかで突き破りたいと忠、つんだけど、突き破りそうなイメージが湧く と逃げたくなったり、あるいはうまくいかないことをどっかで願ってしまったりね。そうやっ て近づこうとするベクトルと離れようとするベクトルが葛藤するんです。
高級ブランド服を若こなして高級外卓を采り回している御曹司にも意外な悩みがあるんだ な、と私は好奇心を強めた。しかし当初は、ナルシストにありがちな「悩みごっこ」の域を山 ないのではないかという疑いもあった物思いに耽るようにタバコを吹かしている岡崎さんを 見つめながら、この話を真に受けていいものかどうか迷った。
しかし性体験にまで話が及んだとき、私は、彼の悩みがどれほど深刻であるかを思い知った。 女性とのセックスにおいて以後までできたのは、四卜代前半の現在までに、たったの.川だけ であるという。 「恋愛不全と同時にセックス嫌悪もあるんですよ。セックスは汚いものだっていうイメージが どっかにあって、普段はそんなに強く意識していないんだけど、そういう機会になったとき出 てきちゃうんですよね。だから、3 然、あっちのほうも役立たないわけですよ」 恋人に見た「母の面影」 岡崎さんの恋愛・セックス体験を順繰りと聞いてみた。 f どもの頃に赤面恐怖症の傾向があり、人づきあいに消極的だったという彼は、特に火性に 対して荷予立識を抱いていた。中学・高校時代を男子校で過ごしたこともあって、り親以外の女性とはぜんぜん接してこなかった。
大学になって同じサークルの女の子を好きになったが、まったく口をきかず、ただ遠くから眺めているだけだった。そのチェックの仕万は、「ストーカーまがい」と本人が一一言うほどである。服装や髪形などはもちろんのこと、イヤリング、キユア、靴下、サンダル、ハンカチ、さらには化粧のよしあし、肌や産毛の手入れの状態までなめるように見つめた。そしてその姿を記憶に焼き付け、想像上で肌に触れたり抱き締めたり してマスターベーションをしていた。しかし現実には性関係を持ちたいとは思わなかった。 あとを追い川すようなことはせず、もっぱら「視姦」に欲情した。当然、相手の女の子は気づいて嫌がっていたが、彼は決してやめなかった。
「男の友達なんかにその話をすると、そういう気持ちはわかると言われることもあるから、同じようなことをしてきた児は多いんじゃないかなあ。僕もそれだけでけつこう満足していたんですよ内小さい陥明から人との距離の取り方がわからなかったから、当時の僕にはあれが女性へのアプローチの限界でした。あれがいちばん心地よかったんです。同性どうしであれば、だいぶリラックスできるようになっていたんですけど、異性にはまるでダメでしたね」 それでも徐々に女性に慣れてきて、て卜九歳のとき、初めて彼女をつくった。二歳年下の女性で、スキl 仲間のひとりだった。しかし、岡崎さんが積極的にアプローチしたわけではなく、友達から後押しされて、なんとなくデl トを繰り返し、「気がついたらつきあっちゃってた」というのが本音だった。つきあっていることを意識し始めると逆にしんどくなってくるほど、 岡崎さんは冷めていた。性欲もほとんど湧かなかった。相手の火性のほうもパl ジンで、性的なことには奥手だった。
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