更年期障害の男の日記

薬の副作用

 

 

「祐子がいつも俺を責めなかったし、きちんとできなくても、ふたりで一晩中ずっといられたことが感動的だったね。あのとき「情けない」と言われたり、言われなくてもそういう雰囲気が漂っていたら、俺は「もう、いいや」とふて腐れるだけだった。でも、祐子が優しくしてくれたから、逆に「やっぱり彼友のために、ちゃんとしてあげたい」という気持ちになれたんだ」 「その瞬間は、単に『人ったかなあj』っていう感じだったような気がします彼が一所懸命にやってくれてるというか、焦っているような感じだったのが気になっていて、感じるような余裕はありませんでしたのだから、その瞬間よりも、終ったあとに彼のうれしそうな顔を見ているほうがうれしかった」(祐チさん)その後、田島さんは、めきめきと自信を取り戻していった。焦ることもなくなった数カ月後にパイアグラなしで試してみると、意外にすんなり成功したふたたびベy ドのうえで抱き合って、「薬なしでもできるじゃん!」と喜んだ。ちょうど同時期に婚約したことが、気分的に最大級の追い風になった。今度は川向さんのほうが黙り込んだう思いが微かに牙生えてきたすべて話し終えて、山島さんは、決立を附めた「来週、会いに行くから円いい?」「うん、いいよ。楽しみにしてる」 電話を切ったとき、田島さんは重怖を降ろしたような解放感に浸り、しばらく放心状態であったというそして「やっと言える子がいた」という感激がじわじわと込み上げてきて涙ぐん「そうだ、なんとかすればできるかもしれない」といだ。 そんな人、初めてだったから。走っていると聞いていたし、vv 点をけんたら病気しているとは思えないし、「いったい、どんな奴なんだ?』と頭がこんがらがって、何日も考え込んで限れないときもありました。正直いって、『やっぱり会うの断わろう』と思ったときもありましたよ」そんなとき彼交を支えてくれたのは、同じスポーツクラブに所属している友人だった。 「ひとりじゃ抱えきれないから、友達に相談したんです。

 

 

この人ならわかつてくれると思って。彼女と私は、男の人に対する感覚がとても似ているんです。たとえば飲み会のときに、到性は経済力があったほ、つがいいかどうかという話題になったとき、大多数が『あったほ、つがいい』派だったのに、私と彼女だけ「ないんなら自分で働けばいいじゃない』と言い張るような仲なんですね。それで話してみたら、期待通りすんなり受け入れてくれました。『いろいろ抱えていても、いま前向きにやろうとしてくれるんなら、それでいいじゃない』って言ってくれて、 私もまったく同感だったんですね。すごく励まされました。それで「会ってみよう」と思えたんです」 会う前に答えは出ていたようだ。赤い糸で結ばれた一線というのはこういうことなのかもしれないと私は感じ入ってしまった。 「ほんとに好きだったら、それで別れることなんてしないよ」千歳空港のロビlで初対面を果たしたおい凡いに初めてとは思えず、昔から知っているような親しみを感じた。祐子さんの案内で札幌をぐるぐる川った。北大同辺の草原を走って軽ガクンとうなだれ、「すべて終った」と落胆 人それぞれのED 事怖すると祐子さんが、「いいよ、いいよ」と優しく芦をかけた。「ほんとに好きだったら、それで別れることなんてしないよ。

 

少なくとも私はそうだよ。だから、安心して」田島さんはこの言葉で救われた。ベッドの中で静かに抱き合い、温かい安らぎを感じながら、彼女に感謝した。女性に対してこういう気持ちになるのは初めてだった。初めての精神的な、人間的なつながりだった。札幌滞在の一週間の聞に何度も失敗して、そのたびに彼次の愛をたくさん感じて、彼自身も「帰人」以外のことでたくさんの愛を伝えて、このうえない幸福感に包まれた。 「私は好きになった人に触れたい、触れられたいって気持ちが起こるけど、それは単にセックスという行為だけではないんです。ほんとに好きな人に一晩中ただ抱き締められて限ることだ けでも、女にとってはすごく大事なこと」田島さんにしてみれば逆に、祐子さんのこういう気持ちによって、二十年以上のED 一腔の中で初めて治療意欲に結びついた。


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